斐太遺跡


 4月30日、斐太遺跡に行ってきました。
 斐太には、100以上もの竪穴住居の跡が残っているそうです(県内でも最大級の村の存在)。そして、県内に7つあるといわれる大きな古墳(前方後円墳)のうち2つが斐太にあるそうですまた、円墳・方墳を含めると180ぐらいの古墳があり、北陸最大の古墳群だといわているそうです。

「今は人口が少ない妙高市が、弥生時代にこのように栄えていたのはなぜか?」
という講師高橋勉さん
(市教育委員会)の問いかけに、子どもたちは「住みやすいから」「水がきれいだから」と答えていました。

「米作りが盛んになると、水が大切になり、山から流れ出る水の最初が、ここ妙高であった。そのため、妙高で水を止めると、高田には水がいかなかった。豊かな水がある妙高が栄えた理由です」と、高橋さんが教えてくださいました。

 さらに、「新潟県の中心は、現在は新潟市となっているが、江戸時代は高田城、江戸の前は春日山
(上杉謙信)、鎌倉室町時代は直江津(五智)、平安時代は新しくお店ができたバイパス(バロー)の辺り。それ以前の弥生時代から古墳時代はずーっと妙高が北陸関東を支配していた」と話してくださいました。




市教委の高橋さんから説明を受けました。



外堀の跡・竪穴住居の跡がありました。



資料館



斐太遺跡にも
ギフチョウの卵を発見しました。
新たな発見でした






歴史の里を探検しました。


 



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